映像(えいぞう) |
説 明(せつめい)
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撮影日 |
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海津町本阿弥(ほんなみ)新田に現存(げんぞん)しているどぞう式水屋です。輪中下流部(かりゅうぶ)にあるため石垣(いしがき)の高さは比較的(ひかくてき)高いここの水屋は、2階があります。 |
1996.11.17 |
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海津町萱野(かやの)に現存(げんぞん)している住居倉庫(じゅうきょそうこ)式水屋です。輪中下流部にあるため石垣の高さはひかくてき高い。ここの水屋は、井戸も便所も完備(かんび)しています。 |
1996.11.17 |
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国営木曽三川公園内に復元(ふくげん)されたゆたかな農家の水屋です。もり土した上にさらにもり土して石垣を組んだ上に水屋が建(た)てられています。石垣の高さは約4.35mもあります。 |
1996.11.23 |
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平田町今尾(いまお)に現存(げんぞん)している水屋です。木曽三川下流部にあるため、石垣の高さは比較的高い(約3.3m)。
ここの水屋には、トイレ、物置、廊下がついています。この水屋は、昭和27年の長良川右岸勝賀(かつが)切れの時と、昭和34年8月13日の多芸(たぎ)輪中洪水(こうずい)、9月26日の伊勢湾台風の時に養老から避難(ひなん)した家族に利用されました。 |
1996.11.29 |
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平田町今尾に現存している水屋の石垣です。木曽三川下流部にあるため石垣の高さは比較的高い(約3.2m)です。ここの水屋には、トイレ、物置(ものおき)、ろう下がついています。この水屋の石垣には、明治29年の長良川右岸勝賀(かつが)切れの時の最高浸水位(さいこうしんすいい、約2.9m)が青いペンキでかかれています。 |
1996.11.29 |
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水屋にある座敷(ざしき)です。洪水時に長期間水屋で寝(ね)とまりできように畳(たたみ)のある部屋(へや)も用意(ようい)してありました。 |
1996.11.29 |
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万一洪水(こうずい)になった時、水屋で避難(ひなん)生活を送(おく)ることになりますが、その期間(きかん)は2週間から2か月間ほどにおよぶこともあり、緊急(きんきゅう)時の飲料水(いんりょうすい)をこれにたくわえておきました。 |
1996.11.29 |
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海津市平田町今尾の長谷川家母屋(おもや)にある上げ仏壇(ぶつだん)です。洪水時には二階からかっ車できちょうな仏だんを引っ張(ぱ)り上げられるようにしてありました。仏だんの横に、チェーンブロックで引っ張り上げるためのワイヤーが見えています。 |
1996.11.29 |
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上げ仏だんを上から見たところです。ひっぱり上げるためのチェーンが見えます。 |
1996.11.29 |
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上げ仏だんのとなりの部屋のおしいれです。ふすまをあけると、仏だんの上に上がるための階段(かいだん)が作られていました。 |
1996.11.29 |
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これは、堤防が切れて、赤い線のところまで水がきても、水屋はだいじょうぶであることを分かりやすくした図です。この地方では、冬の季節風である「伊吹おろし」の影響(えいきょう)を少なくするために、水屋は屋敷(やしき)の北西角に立てられることが多いようです。また、洪水の時に上流側(じょうりゅうがわ)からおしよせてくる流木(りゅうぼく)が水屋や母屋をこわさないようにするために、水屋や母屋の北側や西側(東側)にまきの木などの垣根を植えています。(注:これは、あくまで輪中のイメージ図ですので、実際(じっさい)の東西の距離(きょり)と高さとの比など違っていますので、誤解(ごかい)のないようにお願いします)。
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