国営木曽三川公園のしょうかい

(99.09.15新規)


輪中に関する資料(海津町油島)

国営木曽三川公園には、輪中に関する資料がたくさん展示されています。その一部を、中部地方建設局の許可を得てけいさいしています。

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復元(ふくげん)された水屋
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写真(しゃしん) タイトル     せ つ 明 さつえい日
復元された水屋 国営木曽三川公園内(こくえいきそさんせんこうえんない)に復元(ふくげん)された江戸時代中期ごろの豊(ゆた)かな農家(のうか)の水屋です。盛(も)り土した上にさらに盛り土して石垣(いしがき)を組(く)んだ上に水屋が建(た)てられています。石垣の高さは約4.35mです。 97.11.09
たなにおかれたかめ 復元された豊(ゆた)かな農家(のうか)の水屋に備(そな)えられています。洪水時(こうずいじ)に長期間(ちょうきかん)水屋で生活できるように、かめの中に飲(の)み水・梅干(うめぼ)し・味噌(みそ)・醤油(しょうゆ)などが蓄(たくわ)えてありました。   〃
水屋のざしき 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の水屋にある座敷(ざしき)です。洪水時(こうずいじ)に長期間(ちょうきかん)水屋で楽に寝泊(ねと)まりできるように、畳(たたみ)のある部屋(へや)も用意(ようい)してありました。   〃
米びつと長持 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の水屋の倉庫にそなえられています。洪水時に長期間水屋でくらせるように、米びつの中には米、長持(ながもち)の中には衣類(いるい)も蓄(たくわ)えてありました。櫃(ひつ)というのは、ふたのついた大型(おおがた)の箱(はこ)のことです。   〃
穀物びつと米俵 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の水屋の倉庫にそなえられています。洪水時に長期間水屋で生活できるように、また、洪水につからないように、米や穀物(こくもつ)なども蓄(たくわ)えてありました。   〃
水屋の土かべ 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の水屋の土壁(つちかべ)。洪水時に打ち寄(よ)せる波に対して、丈夫(じょうぶ)な構造(こうぞう)とするためのものである。   〃
水屋の便所 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の水屋に備(そな)えられています。洪水時に長期間水屋で生活できるように、便所も用意してありました。   〃
たんすと火鉢 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の水屋の倉庫にそなえられています。洪水時に長期間水屋で寝泊(ねと)まりできるように、衣類(いるい)や火鉢(ひばち)もそなえてありました。   〃

比較的豊かな農家の母屋(おもや)

しゃしん タイトル   せつめい さつえい日
比較的豊かな農家の母屋 国営木曽三川公園内に復元(ふくげん)された江戸時代中期(ちゅうき)ごろの比較的豊(ひかくてきゆた)かな農家の母屋(おもや)です。洪水時にそなえて、玄関(げんかん)の軒下(のきした)には上げ舟(あげぶね)が用意(ようい)してありました。 97.11.09
上げ舟 洪水時には、家族や大切な家財道具(かざいどうぐ)などをのせ、近くの避難(ひなん)場所(堤防など)に避難するために利用しました。堤防がどこかで切れると、軒(のき)から下ろし、庭(にわ)にある木(柿の木)などに綱(つな)でくくって、洪水で流れていかないようにしました。この木を「舟つなぎの柿(かき)」と言いました。   〃
母屋のざしき 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の母屋の座敷(ざしき)です。冠婚葬祭(かんこんそうさい)の際(さい)、大勢(おおぜい)の人が入れるように田の字型(じがた)の部屋割(へやわ)りがしてありました。また、洪水が家の中を通りぬけやすいように、北と南は障子戸(しょうじど)になっていました。   〃
上げ仏壇 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の母屋にある上げ仏壇(ぶつだん)です。洪水時には、二階から滑車(かっしゃ)で、ご先祖(せんぞ)様の入っている貴重(きちょう)な仏壇(ぶづたん)を引っ張(ぱ)り上げられるようにしてありました。   〃
お勝手のたな 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の母屋のお勝手(かって)のようすです。徳利(とっくり)や瓶(かめ)、釜(かま)、鍋(なべ)、ざる、弁当箱、お茶碗(ちゃわん)、箱膳(はこぜん)、おけ、すり鉢(ばち)、おひつ、枡(ます)など、江戸時代ころに使われた物がならべられています。   〃
流しと水がめ 昔使われた流しと、その横に料理や飲(の)み水などを汲(く)んだ水瓶(みずがめ)が置(お)いてあります。   〃
かまど 昔、ガスコンロなどがない時代にご飯(はん)を炊(た)いたり、食べ物を煮(に)たりするために使われた火をたく設備(せつび)です。   〃
掘り抜き井戸 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の敷地内(しきち)にあります。輪中の上流側(じょうりゅうがわ)にある昔の農家の多くは、この井戸から生活用水を得(え)ていました。しかし、この井戸(いど)を掘(ほ)り過(す)ぎて、下流地域(かりゅうちいき)が悪水(あくすい)に苦しんだことから、この井戸を掘ることを約束(やくそく)で制限(せいげん)するようにしました(株井戸と言います)。   〃

比較的豊かな農家の納屋(なや)

しゃしん タイトル せつめい さつえい日
納屋の内部 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の納屋(なや)。この小屋には、田畑の仕事をする使用人(小作(こさく))が住(す)んでいました。 97.11.09
昔の農具@ 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の納屋(なや)におかれている農具(のうぐ)です。蓑(みの)、竹かご、糸車、押(お)し切り、み、しょいこ、備中(びっちゅう)などが置いてあります。   〃
昔の農具A 国営木曽三川公園内に復元された豊かな農家の納屋におかれている農具です。千歯扱(せんばこ)き、じょれん、うす、石臼(いしうす)、唐箕(とうみ)などが見られます。   〃

水と緑の館(やかた)

しゃしん タイトル   せつめい さつえい日
輪中の模型 国営木曽三川公園内、「水と緑の館」にある輪中地域(わじゅうちいき)の立体模型(りったいもけい)の一部。江戸時代、比較的裕福(ひかくてきゆうふく)な地主階級(じぬしかいきゅう)が建(た)てることのできた洪水にそなえた避難小屋(ひなんごや)です。洪水時(こうずいじ)にも、大切な米や財産(ざいさん)を守る倉(くら)の役目も果(は)たしました。 97.11.09
濃尾平野西部の立体地図 国営木曽三川公園内、「水と緑の館」にある木曽三川下流域の立体地図である。海津町が川にはさまれていることがよく分かります。   〃
ヨハネス・デ・レーケ 国営木曽三川公園内、「水と緑の館」にあるデ・レーケの説明板です。写真と主(おも)な足跡(そくせき)が記(しる)されています。   〃

国営木曽三川公園の連絡先
  岐阜県海津市海津町油島255−3   пF0584−54−5531


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