9.12水害のお話


伊藤さんのお話(当時水防団副団長)
 私もこの輪中の住民としてつね日ごろ、この地いきを水のさいがいから一こくも早くまぬがれることができないだろうかということを考えております。この水というものは、人間の力ではどうしようもないおそろしいエネルギーを持っております。そのおそろしいエネルギーに向かうには、何が大切なのだろうかということです。
 通しょう「9.12さいがい」という言葉があります。これは、昭和51年(1976)9月12日午前9時8分、安八(あんぱち)町地内(大森)の堤防が決かいしたのでございます。この時に、一こくも早くわれわれ高須輪中の水防団が応えんせよということで、県の河川課(かせんか)から指令(しれい)をいただきました。私達が現地(げんち)におじゃましますと、もうわれわれの想像(そうぞう)する以上のおそろしい水の量(りょう)でした。長良川のあの大きな川の水がどとうのごとく流れこんでおります。  ふつう水というものは、自然の原理(げんり)で、上から下へ流れるものです。ところが、私達午前9時8分無線で安八町に決かいを生じたという連らくをいただきまして、すぐさま堤防をじゅんししたら、長良川の水が下(しも)から上(かみ)へ流れているのでした。これが、私達が想像した以上のおそろしさであり、その時の水の高さは橋のけたまで来ていたのです。もう私達は、今度は高須輪中に水が入るのだ。その時は、せっぷくしても輪中のみなさんにおわびすることができないのだ。なんとかこれをくいとめなければならない。  ということでひっしにけいかいをしておったのですが、安八町で切れた水が輪之内町へ入ってきますと、今度はこの高須輪中へ水が入るのだ。さあ、ここで私達はどうしたらいいのかということです。


 大榑(おおぐれ)川の堤防は、4か所の切りわりがあります。これを止めなければいけないということで、高須輪中のかんり者・副(ふく)かんり者・輪中の議会(ぎかい)の先生がたをしょう集しまして、9時35分から10分間にわたってけんとうしました。第一のけんとうは、住民(じゅうみん)の安全(あんぜん)のほしょうをしなければならない。生命・ざいさんを守るのがわれわれのにんむである。その住民をどうしたらいいのか、上で堤防が決かいしてどとうのごとく流れてくるこの水をかぶる前に、  住民のかたがたを安全にしなければならないということで話し合ったのです。まず、住民の移動(いどう)はぎょうせい区いきのかたがたにお願いして、われわれは水がくるのをせきとめるのがにんむだということで、これは建設省(けんせつしょう)の方へお願いして土のうを作っていただきました。また、土砂(どしゃ)の運ぱんもお願いしましてわれわれ水防団もひっしになって、油島(あぶらじま)に集めてあった土砂を使って、2万俵(びょう)ほどの土のうを作りました。これを4か所の切りわりにはい分して、  なんとかくいとめていきたいということで努力したのです。
 それから、平田(ひらた)町と輪之内(わのうち)町のさかいにある切りわりに大きなじゃ柱をたて、しお戸をあててその中に土のうをつみ上げました。そして、しゅういから水が来てもかんぜんに自分の力で立ってふせぎ守ってくれるだけの土砂を集めなければなりません。そこで建設省のダンプをお願いして、土砂を運んでもらいました。土のうは2万俵作ったのですが、これだけではとうていふせぎきれないので、私達はその2万俵を主としてじょじょに西の切りわりからつんでいったのです。三郷・岡・須賀・勝賀の順です。  2万俵の土のうを持ってきても、本当に下の方にちょっとならべただけで終わってしまう。そこで、建設省にお願いしてあった土砂をダンプで運んでいただいて、土のうと土砂をつみ上げました。水防団員は、本当になんぎでした。
 しかし、「えらい」「つらい」「重い」ということを考えていたら、ここはせき止められません。これをせき止めするには、自分達にあたえられたにんむをまっとうしなければならない。そこで、「えらい」「辛い」「重たい」と言ったらつとまりません。ひっしになってつんでいくわけです。これがわれわれのにんむなのです。それをやることによって、高須輪中の住民の生命ざいさんがいく分なりともほごできるのではないかということで一つの目ひょうに向かって全力を投入(とうにゅう)します。最終的(さいしゅうてき)には、  作業に使った材料は、土のうを4万俵あまり、土砂は10紬ダンプで24はい。これだけの材料をそこにそそぎこんでどうやらこうやらせき止めることができたのです。
 水防団にあたえられたにんむは、輪中住民の生命ざいさんをほごすることが第一です。しかし、われわれだけではできません。町長さんをはじめ、議会の先生がたがこぞって国へちんじょうして、予算をいただいて、堤防強化をしていただくことが大切なのです。でも、堤防を強化するだけでは足りません。みなさんがたも、お父さん・お母さん・おじいさん・おばあさんのいうことをよく聞きながら、地域(ちいき)を守る、自分達の生命ざいさんは自分達で守るのだという気持ちになって、今後とも大いに勉強していただきたいと思います。


 伊藤 鉱三氏は、昭和27年平田町勝賀決かい現場において消防団員として活躍(かつやく)され、「地元を水がいから守らねば」という強い願いから昭和32年現在の高須輪中水防団に入団され、以来昭和34年の伊勢湾台風(いせわんたいふう)、昭和36年の集中ごう雨、台風18号、昭和51年の9.12水がいなどで数々のこうせきを残されています。

                                         (昭和62年  稲川貴士先生による聞き取りから)


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