切り割りについてのお話


9.12災害時の切り割りについて、当時水防副団長伊藤さんのお話

 <平田町三郷にある切り割り>

 まず、切りわりは何のために作られたかというと、昔(むかし)、平田(ひらた)町から輪之内(わのうち)町へ行くには、長良川の堤防を使っていたりしていたのですが、自動車ができて、なんとか早くとなりの町へ行きたいという地元の人々の希望(きぼう)もあり、旧輪中堤を切りくずして「切りわり」が作られたのです。
 ところが、近くにいび川や長良川という大きな川があり、もしこれらの堤防が切れたら、低いこの輪中の土地は、いっぺんに水につかってしまいます。そこで、上(かみ)の方で万一堤防が切れた時にそなえて切りわりはすぐにふさぐことができるようになっているのです。
 切りわりの上にある倉庫の中には、じゃ柱としお戸が入っています。じゃ柱は、人間5〜6人ではとても動かせれませんので、レッカー車によって立てます。深さ45cmのあなへじゃ柱を立て、じゃ柱のみぞにそってしお戸をはめこんでいくわけです。そのあと、それだけではこう水をふせぎきれませんので、土のうを堤防の高さまでつみ上げるのです。
 さて、じゃばしらですが、水がきてから立てるわけではありません。水が来る前に立てるのです。ところが、住民の人々はじゃ柱が立つほどきけんがせまっているのかと心配されますので、このじゃ柱を立てて切りわりをふさぐということは、さい後の手だんなのです。
 昭和48年にこのそうこがたてられ、じゃ柱やしお戸も作ってもらったのですが、これを初めて使ったのは、昭和51年9月12日のいわゆる9.12水がいの時です。これは、安八町で長良川の堤防が切れてこう水がおしよせてきたわけですが、この高須輪中の上にある輪之内町と安八町のさかいにある十連坊(じゅうれんぼう)堤防で守りきれなかったら、この高須輪中に水が入ってくるのです。輪之内町へ水が入ってもよいということはありませんので、その十連坊の堤防でもひっしになって水をくいとめる人達がいるので心配(しんぱい)しないでくださいともうし上げたのですが、住民のかたがたはなっとくされませんでした。
 そこで、とにかく住民のかたがたに心配をあたえないように、水防団はこっそり連らくし合って目てき地に集合し、気づかれないように作業をおこなったのです。住民のかたがたの不安感を高めることが一番おそろしいので、そのことに本当に気をつかって作業に取り組みました。もとより、水防団は、輪中の住民の生命やざいさんを守るためにひっしになって働(はたら)くことがしめいでありますので、住民のかたがたに心配をあたえないようにしつつ、全力でこの切りわりをふさいだのです。

 右に見えるのがじゃ柱で、左がしお戸です。

 (昭和62年  稲川貴士先生による聞き取りから)


 (注意:著作権者のデータが含まれていますので、このシリーズのデータを利用したソフトの流通は不可です。使用条件:学校教育においてのみ使用可)


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