治 水 神 社


治水神社(海津町油島)

 宝暦4(1754)〜5年に実施(じっし)された宝暦治水(ほうれきちすい)は薩摩藩(さつまはん、鹿児島県)に多くのぎせいをしいた。藩財政(はんざいせい)をあっぱくするなど大変な土木事業(どぼくじぎょう)となった工事の総奉行(そうぶぎょう)である平田靱負(ひらたゆきえ)はその責任(せきにん)をおい、自殺(じさつ)した。治水神社はその平田靱負を祭神(さいじん)として、昭和13年に油島締切堤(あぶらじましめきりてい)の付け根に建(た)てられたものです。


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