三川分流碑


木曽三川分流碑(きそさんせんぶんりゅうひ)(海津町成戸(なりと))

 明治改修(めいじかいしゅう)における三川分流工事の完成(かんせい)を記念(きねん)し、大正12(1923)年3月に建(た)てられたもので、羽島市桑原(くわばら)町に隣接(りんせつ)する海津町の木曽長良背割堤(せわりてい)付け根にあり、明治改修工事の規模(きぼ)に見合った堂々(どうどう)たる石碑(せきひ)である。碑(ひ)には宝暦治水(ほうれきちすい)を経(へ)て、三川分流を目的(もくてき)とする明治改修工事に着手(ちゃくしゅ)せざるを得(え)なかった経緯(けいい)などがしるされた。ここに、「六年、(明治)官、蘭人(らんじん)を聘(へい)して地勢(ちせい)を測勘(そくかん)し工程(こうてい)を企画(きかく)す」と書かれている。「蘭人(らんじん)」という文字だけで、ようやくデレーケのことであろうと想像(そうぞう)できます。


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