大水害の答え
「海津町で今までで一番大きかった水害はいつごろで、死んだ人や水につかった家はどれくらいですか。」についての答え
A:はっきりしたことは、こちらでは分かりません。分かるはんいでお答えします。大きな洪水は過去に何度もあって、どれが一番かは定かではないようです。大きかった洪水を紹介(しょえかい)します。
@因幡河(いなばのかわ)の洪水・・・美濃(みの)の国に、因幡河(長良川)という大きな川があった。雨がふって水が出ると、はかることができないほどの水量(すいりょう)となる川であった(と「今昔物語」にのっています)。
A天正14年(1586)の大洪水・・・6月に大洪水があり、古木曽川(現大江川)は川筋を一変させ、ほぼ現在(げんざい)の木曽川筋に位置を変え、岐阜から大垣地区まで一面、どろの海となったと言われるくらいすごい洪水だったそうです。
B江戸時代の洪水・・・分かっているだけで、42回はあり、その中にはきっと大洪水もあったと思われます。
C明治29年の大洪水・・・7月19日から22日にかけて大雨がふり、揖斐川堤防(今尾町なまず池)、長良川堤防(海西勝賀)が決壊(けっかい)しました。高須輪中はすべてどろの海となり、約5000戸が浸水(しんすい)しました。水深(すいしん)は4m以上だったそうです。
9月6日に台風がきて、大変な暴風雨(ぼうふうう)で、復旧工事(ふっきゅうこうじ)中のなまず池堤防が、また決壊しました。家屋(かおく)が流失(りゅうしつ)したり、つぶれたりしたのが2300戸、人や家畜(かちく)の死傷(ししょう)が1500。高須町日新小学校は、7月21日以来休校、8月9日再開(さいかい)、9月7日からふたたび休校、28日再開となっています。
いのくらいが、高須輪中での大洪水の大きいものだと思います。
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