堀田についての答え
「昔は米を作る時どんな苦労があったのですか。」についての答え
A:高須輪中では、江戸時代には5〜6年に1回は堤防が切れていたそうなので、水害にあうとほとんど米の収穫はなくなってしまったそうで、米を毎年とることに苦労したそうです。普通の時でも、ここは土地が低いので、雨の多い6月には水が多すぎる状態になるので、普通にやっていては、お米がとれません。そこで、田の一部を掘って、そのとなりに堀った土をつんで、田の一部を高くした「堀田」を作りました。これを作るのもたいへんな労働だったそうです。初めは、ばち先備中くわで掘り、水面下は「じょれん」などの農具を使って、深さ1.5〜2メートルほども掘ったそうです。盛り土した田面から堀つぶれの底までは、2〜3メートルの落差があったそうです。2〜3メートルも下から土をすくい上げることは、すごくたいへんだったと思います。本当のことは分かりませんので、くわしく知りたければ、海津町歴史民俗資料館等にお問い合わせください。
☆海津町歴史民俗資料館 TEL:0584−53−3232