船頭平閘門


船頭平閘門(せんどうひらこうもん)(愛知県立田村船頭平)

 明治時代に木曽川と長良川の間が分流されたので、当時はそうとう使われていたふねの行き来を便利にするためにつくられたパナマ式運河の閘門です。向こう側(おく)が木曽川本流につながっています。平成5年9月30日から平成6年7月31日まで改築(かいちく)工事がおこなわれました。とびらは、鉄鋼(てっこう)からステンレス鋼にかえられました。 桑名(くわな)は水運、海運の要衝(ようしょう)であり、天明6年(1786)より米穀(べいこく)市場が開設され、明治期には米穀取引所となっていました。また、宮内省御料局貯木場もあるなど、桑名は流域下流部の経済拠点(けいざいきょてん)として大きな位置をしめていました。そのため、愛知,岐阜、三重の米、信濃,飛騨,美濃の木材、その他の物資は桑名に集められ、桑名市場を経由して全国各地に散らばっていきました。鉄道や道路の発達していない明治大正のころ物資を運ぶ手段は主に舟運(しゅううん)によったにもかかわらず、この船の利用が三川分流によってとだえてしまうので、閘門建設の要せいが上がりました。これまで桑名の繁栄を支えてきたのは、揖斐川河岸にある桑名港でした。三川分流 が行われると、桑名港にとって木曽川・長良川との舟運はとだえてしまい、桑名港は衰退(すいたい)してしまいます。そこで、明治27年(1894)5月桑名町の佐藤義一郎らは国会に閘門設立を請願(せいがん)し、5月19日の第6回特別議会で請願に関する実況陳述を行いました。その結果、舟筏交通の便や水位・地形・地質について比較検討され、この閘門ができました。


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