名称 | 海津市立今尾小学校 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
学校長 | 橋 崇敏 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所在地 | 〒503-0321 岐阜県海津市平田町今尾4434 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
TEL/FAX | 0584−66−2137 / 0584−66−3270 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
規模 | 児童数 161名 / 職員数 23名 ( 2023.6.6 現在 )
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
沿革1 | 今尾の町は、古くは城下町として発達した町で、現在は商業の盛んな町になっています。江戸時代から昭和のはじめ頃までは、米や商品は川を利用した輸送でした。今尾には立派な港があり、舟問屋も数軒ある、市場も開かれていました。今尾小学校は、大榑川堤の下にあり、今尾商店街の北、今尾城跡の小高い丘にあります。 文政年間:今尾藩主竹腰正定が藩校「文武館」を設立 明治3年(1870):校名を「格致堂」と改名 明治6年(1873):常栄寺に移り、「真澄舎」と改名 明治10年(1877):今尾城跡に移り、「今尾学校」と命名 明治24年(1891):濃尾大震災のため、校舎倒壊一時閉校 明治27年(1894):校舎新築 明治36年(1903):三郷・西島・平原の小学校が、本校分教場に |
明治27年からの校舎・分教場 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
沿革2 | 大正4年(1913):校旗制定 昭和16年(1941):「今尾国民学校」となる 昭和22年(1947):「今尾小学校」となる 昭和30年(1955):平原分教場は、高須小学校へ移る 昭和41年(1966):三郷分教場が、本校に統合 昭和47年(1972):西島分教場が、本校に統合 創立百周年記念式典開催 昭和50年(1975):新校舎・図書館の完成、運動場の拡張整備 昭和61年(1986):体育館新築、新プール完成 平成7年(1995):教育目標「進んでやりぬく」と改正 平成14年(2002):図書館改修 平成15年(2003):下水道工事・トイレ改修 平成17年(2005):海津市誕生、「海津市立今尾小学校」となる |
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
校章 | 明治10年(1877)制定。今尾城内の八重桜に「今」の文字を入れて作られたと言い伝えられている。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
校歌 | 昭和23年(1942)制定。(作詞:栗田義正/作曲:河野信一) 1.白帆行き交う揖斐川に 清き理想のかげを追い 松緑なる城跡に 郷土の偉人偲びつつ 学ぶ我らに 幸多し 2.明朗・工夫・実践は 我が伝統の誇りなれ 腕に汗してつとめつつ 知徳の華を咲かせんと 勇む瞳を君見ずや 3.民主日本の明けの鐘 高き文化をうち建てん 使命思えば血は踊る 心を合わせ進み行く 若き我らに誉れあれ |
校歌の演奏はこちら |